1.03.2010
10.24.2009
鯉するマドンナ@RTM
あまりに気になったので、その日の宿はここにした。ロビーも部屋もふつうだったが、裏庭に出てみてビックリ。大きな池に色とりどりの鯉がうじゃうじゃと泳いでいた。それも、かなり立派な鯉ばかり。
そこのご主人らしき人に聞いてみると、なにやらかなりの鯉好きらしく、育てた鯉でいくつもの賞を受賞しているとのこと。いくつもあるトロフィーを見てみると「全日本総合錦鯉品評会 優勝」という文字。何度も日本に鯉と一緒に行っているらしい。中でも一番のお気に入りは日の丸が頭についている「マドンナ」という鯉だとか。たまたま通りかかったドイツの一角でも、こうして日本の文化を誠実に継承している人たちがいるというのは、不思議だけども、とても喜ばしい。ちなみに「マドンナ」は270万円。
10.14.2009
わんこビール@RTM
西ヨーロッパ・ドライブ旅行@RTM
9.24.2009
自転車@RTM
今から10年ほど前までは自転車といえば中国の大通りを想像したが、それも最近では大量の自動車にすっかり取って代わってしまった。一般的にはあまり知られていないかもしれないが、実は自転車大国はここオランダである。オランダでは人口数と国内の自転車の数がほぼ等しく、自転車保有率は世界一とされている。これにはいくつかの理由があるのだろうが、まず思いつくのは国土全体がほぼ真っ平らという利点だ。そして、国内ほとんどの道路が平行して自転車専用道路を設けているということも自転車普及に大きく貢献しているだろう。(自転車道の総延長は約1万5000キロにものぼる。)また、各都市がコンパクトにまとまっているというのも大切な条件なのかもしれない。この自転車の数は現在も着実に増加傾向にあり、人口約1600万人に対して毎年170万台の自転車が買われているというデータがある。また、その一方で年間約75万台が盗難の被害にあっているとのこと。これは一日に2055台の自転車が九州ほどの面積内で盗まれているという計算になる。ちなみに日本全国の年間自転車盗難届け数は約43万台なので、いかにオランダでの盗難率が高いかがわかるだろう。オランダに来てから4年と3ヶ月ほど経つが、その期間内で僕が所有した自転車の数は7台で、そのうちの5台が盗難の被害にあっているから上記のデータは個人的に立証済みだ。

右の写真が典型的なオランダの自転車である。基本的に色は黒で、フレームがごっつい。ハンドルの手前と後輪の泥よけにライトが付いているが、大抵の場合は点かない。自転車を所有する上で、まず一番大切なのは鍵だ。丈夫な鍵ほどよいのは当たり前なのだが、重要なのは必ず2種類以上の鍵を装着することである。これは、自転車盗難を専門に行っている方々の多くはそれぞれ外すのが得意な鍵の種類が特定されているためであり、複数の種類の鍵を外すよりは得意な一つの鍵しかない自転車を狙ったほうが効果的だからである。もちろんそのほうが作業の時間も短時間で済む。基本的に盗まれた自転車はすぐに路上で売られるのだが、その際のロッテルダムでの相場は約8ユーロから15ユーロといった程度だ。中古でもちゃんとした自転車屋から買おうとすれば70〜100ユーロはするので、盗難自転車の需要が一向に減らないのも納得してしまう。自分のを盗まれたら、他人のを買い取る、という一つの悪循環システムが成立してしまっているのだ。

世界中で省エネやエコが推奨されている現在、車に替わる交通手段としての自転車は改めて注目を集めている。パリなどの大都市でも乗り捨て可能な自転車レンタルシステムが登場し成功を納めている今日、オランダのように国全体で自転車利用者に対する整備がすでに整っていることは、とてもすばらしいことだと思う。盗難が後を絶たないという悪い一面があるにせよ、自転車の利用者が普及しているこの国は今後ますます環境問題と正面から向き合わなくてはならない都市像の良き例として重要な位置に立つこととなるだろう。盗難数ではオランダより少ない日本だが、一方で年間放置自転車撤去数はなんと250万台だという。自転車を大切にすることの先にある意味/可能性をここに来てもう一度日本人は考えるべきだと思う。(左上の写真は子供のための席が装着されたもの。子連れに人気があるらしい)
9.22.2009
試合観戦と水上タクシー@RTM
天気の良い日曜日の午後、久しぶりにまたサッカー観戦に行ってきた。ロッテルダム・フェイエノールト本拠地にてアイントホーフェン・PSVを迎え撃つ。まだシーズンが始まって間もないが、現時点での一位がPSV、2位がフェイエという状況での今回の試合は重要な一戦だ。座席はかなりピッチに近い場所に陣取り、ビールとフライドポテトを交互に口に運びながらの応援。前半早々にPSVに2点を入れられる。その後1点を返したが、すぐさま3点目を入れられ、そのまま1−3で試合終了。。。良い日光浴が出来たと開き直る。

ロッテルダム・スタジアムは中心地よりやや南のはずれに位置している。行きはトラムにのって20分ほどかかったが、帰りは友だちの提案で水上タクシーを呼ぶことに。電話で最寄りの運河または川沿いの乗り場を言うとすぐに迎えに来てくれる。値段はけっこう割高なので、大勢で利用することをお進めするが、なんといっても早い。家の近くの運河まで10分足らずで着いてしまった。かなり高速のモーターボートを使用しているため、スリリングも満点。港町ならではの愉快な乗り物に久々にはしゃいだ。
9.20.2009
ランドスタッド@RTM
オランダの都市といえばまず有名なのがアムステルダム。これは商業の中心としてオランダ国内で一番の人口(約75万)を誇る。次に大きいのがロッテルダムで人口58万人。工業都市として知られる。政治の中心としての役目を持つのがデン・ハーグで人口48万。そして4番目となるのがユトレヒトである。人口約30万人のこの都市は昔から宗教の中心とされている。これらの都市はちょうど円を描くように配置されており、流通の拠点であるスキポール空港地区を含めてひとつの共同体である「ランドスタッド」という名称で呼ばれている。つまり一つの中心的大都市を形成するのではなく、役割を明確に隔てた小都市を農業を囲むように配置し、高速道路および列車を介して他の都市群と連結することで国家全体のバランスを保っているのである。
Witte de With Straat@RTM
自宅前の道でまたもフェスティバルがあった。なんのフェスティバルなのかは最後までよくわからなかったのだが、道のあらゆる場所で演劇舞台やコンサート、アートインスタレーションが行われていた。
この道、名前はWitte de With Straatと言いロッテルダム市内では数少ない栄えた通りの一つだ。多くのパブの他現代美術館、写真美術館、アートギャラリー、お洒落雑貨や洋服のお店などが軒を連ねている。右の写真にあるバーの上が現在住んでいる場所。部屋の窓は通りの裏側に面しているため、通りの様子は中からはわからないが、すぐしたがバーなので週末となると明け方まで音楽の低音が響いていて眠れないこともしばしば。
バーの名前は「OPA」といいオランダ語で「おじいちゃん」という意味。勤務先が「OMA」(Office for Metropolitan Architectureの訳)で「おばあちゃん」という意味なので、基本的にロッテルダムでの僕の生活はこのおじいちゃんとおばあちゃんの間を行き来していることになる。
フェスティバルと言えば恒例のゴミの話となるのだが、今回も例外なく綺麗に散らかしてありました。ちなみに主なゴミとなっているのは透明のプラスチックカップとそれを6つまでまとめて運ぶためのボール紙で出来たドリンクホルダー。あとは缶カラや瓶、タバコの箱などが少々といったところだろうか。通常グラスで出されるビールなどのドリンクがこういったイベントとなると使い捨てのプラスチックカップとなるため、通り一面あっという間にこのキラキラ光るゴミで埋め尽くされる。この日は明け方4時頃までいたのだが、掃除が開始される気配もないまま就寝。翌朝10時頃に起きた時にはすでに跡形もなく片付いていた。いつかこの謎に包まれた掃除の様子を解明してみたいという願望がまたすこし強くなった。
9.10.2009
足尾銅山 @TKY
鉱山や精練所など産業遺産がそのまま残っている。それぞれ鉱山、建物としてのその役割を終え、維持管理の手を離れ、ただのものとして年を重ねている。1973年まで鉱山として、1989年まで精練事業を稼働していて、明治を最盛期に、ひとつの街を形成し小学校・商店などがあったようだが、ほとんど無人となっている。
坑道の中、ジオラマのように展示されており、江戸時代の手掘りの様子から、明治・大正・昭和期に古河鉱業(現古河機械金属)による技術革新の様子が示されている。
足尾銅山というと、小・中学校で学ぶ田中正造氏が力を尽くした公害や鉱山での過酷な労働条件という負のイメージが強かった。が、明治の日本の国力を上げるために稼働していたというだけでなく、江戸城・日光東照宮の建造の際に使われたという、国をつくってきた誇り、正のイメージを、この場所に来て色濃く感じた。
足尾銅山を世界遺産登録にするべく取り組みがなされている。
足尾銅山観光
〒989-5402 栃木県上都賀郡足尾町通洞9-2
tel:0288-93-3240
9:00~16:00
9.08.2009
広場について @TKY
多摩川を二度越えて @TKY
家から事務所まで最短距離を電車で行くと多摩川を二度越えていた。往復で4度。鉄道オタクの人であればどこからどこへ行っていたのか分かるだろうか。
東京ライフというより武蔵野ライフという感じでゆったりしていた。電車に乗る人も都心とは雰囲気が大分違った。電車の中で食事をしたり。
建築における姿勢(価値観や設計・施工プロセスへの姿勢)の違いというものを感じた一か月でもあった。35歳程の建築家であったのだけれど、これは世代によるものだったのか。(彼は駆け出しということもあって、たくさんの自分を建築に盛り込みたいようだった。自分で手を動かそうとしないこと、クライアントの前ではしゅんとなってしまうことは気になったけど。)
設計における考え方などはどのように形成させるのであろうか。感度の高く、たくさんの人と会う学生時代や働き始めた初期にどんな物や人、建築と出会ってきたかで変わってくるのだろうか。
建物の機能の要求が出揃って合理的にまとめてからが表現の勝負なのか、要求条件を空間に組み立てることが勝負なのか、要求そのものを変質させてしまうことに心を砕くのか。もちろん、限られたスペース、予算の中で要求をすべて実現するということは難しいこともある。要求同士が相対していることもあるので取捨選択をクライアントとともにすることも必要になるかもしれない。ただこれは設計条件が出揃う前段階のプロセスではある。
建築を通して何を人に伝えたいかということを、建築家の村野藤吾氏はかつて「99%の設計条件、1%の村野」と表現した。この1%を大きいと思うか、小さいと思うか。
7.29.2009
サンバ祭り@RTM
世界中のあらゆる都市に、必ずと言ってよいほどチャイナタウンが存在するように、ブラジル・サンバ祭りもまた世界のあらゆる都市になぜか存在するもののひとつではないだろうか。日本では浅草サンバ祭りが特に有名だが、ここロッテルダムにもなぜかもれなくブラジル・サンバ祭り(通称カーニバル)が存在している。
毎年7月に行われるのだが、大抵の場合この工業都市は真夏でも肌寒く、半ば全裸に近いダンサーたちが何時間もかけて町中を踊り抜けていくのを、毎回気の毒な気持ちで見守ってしまう。が、今年は例年より温かい。そのせいもあってか今年のカーニバルは過去4年間の中では一番盛り上がっていたように思う。
町の中心には日頃そんなに人が多いわけではないのに、この日に限っては中心地は人ごみでごった返す。すべてのトラムが運行を停止し、町の中心部の道路はすべて歩行者天国となる。いったいこの都市のサンバに対する情熱はどこからくるのだろうか、と疑問に思ってしまう。さすがにオランダに来て5度目となると、わざわざ見に行く気もおこらないのだが、幸か不幸かカーニバルが家の前の通りまでやってくる。部屋の窓からは見えないのだが、中にいると音楽と太鼓の音だけが響いてうるさいので、仕方なく外に出て果てしなくつづく奇怪にくねる腰の群れを見ることにした。
ロッテルダムは、日本の学校の授業にも出てくるヨーロッパで一番大きな港がある都市である。そう聞くとあたかも都市自体が大きくて栄えている気がしてしまうが、惑わされてはいけない。実際の港(ユーロポート)はロッテルダム市の中心部からかなり離れた場所にあり、町の中心といえる場所は驚くほど小さい。冴えない商店アーケードがあり(とは言っても世界最初の歩行者天国商店街と称されているが)、映画館があり、飲み屋がたくさんある、まるで日本の地方都市を連想させる。
そう考えると、このサンバ祭りの意味もそれに対する町の情熱も、多少なりとも理解できるようになる。つまり、ロッテルダムは日本各地の地方都市のように、オランダ国内およびヨーロッパ各地から観光客を呼ぶのに必死なのだ。特にこれといったアトラクションも歴史的重要なモニュメントもないこの町は、週末のたびにあらゆるイベントを主催しては、市民を楽しませ、外から人を呼び集めている。
ここにざっと思い出しただけでも、国際映画際、カメラジャパン邦画祭り、F1路上エキシビションレース、サンバ祭り、トランス/テクノダンス祭り、北海ジャズ祭り、ヨーロッパスケートボード大会、建築ビエンナーレ、クラブミュージッック祭り、クリスマスパレードなどなど、とにかくイベントが多い。その度に町はその機能を放棄し、お祭りに従事する。口調がシニカルに聞こえるかもしれないが、個人的にはすごく好感をもっていて、この都市の例は日本の地方都市においても実行可能な、町おこしの手本になるのではないかと思っている。
最後にもうひとつ、このようなイベントの数々をこなす上で重要なのは、行政の理解力とフレキシビリティ、そしてなににも増して大切なのが徹底したゴミの処理である。お祭りのたびに街全体がゴミに埋め尽くされるのだが、必ず翌朝には跡形もなくきれいに片付いている。お祭り中の市民は細かいことを気にせずに楽しむことに専念し、行政はその陰でしっかりと後片付けの段取りを決めている。日本人ならば、初めからゴミを散らかさない工夫ないしは注意を呼びかければいいのに、と思う人が大多数だろう。みんなの場所だから市民一人一人がゴミを捨てないようにする、という日本に対して、こっちは公共な場所なんだから汚しても行政が片付ける義務がある、というスタンスなのだろうか。さすが高い税金を支払っているだけのことはある、と思いながらも、ふとまた公共/パブリックという概念について考えさせられた週末でした。
7.14.2009
あついよ@TKY
今日関東甲信越地方が梅雨明けをした。東京はとにかく連日暑い。日中は30度を超えている。スーツを着て出るときは一応上着を持つのだけれど羽織ることはほとんどない。六本木ヒルズ、渋谷パルコ前や東京大神宮などストリートファーニチャーとして空気中に霧をずっと吹く設備が設置されているところがある。空気への打ち水のようなものだ。この設備をある施設への導入を検討していたこともあり打ち合わせを重ねていた。あたりを(真下にいる人も)濡らさずに温度を2,3度下げる効果があるという。水を微細な霧状に噴射し蒸発するときの気化熱で周辺の熱を奪い、局所的に空調するというものだが、自然のものなのでその時の気温・湿度の影響を大きく受ける。周辺の湿度をすぐに上げてしまうということもあって、外部限定で室内での空調には向かない。一人暮らしで自分ひとりのためにクーラーをつけることは少しためらわれるということもあって室内で少し気温を下げる方策(室内床に打ち水以外の)を考えている。あついよ。
梅雨が明けたというのに、梅雨入り時期の話題であるが今年も梅酒を漬けた。今年は黒糖梅酒。出身地である神奈川県小田原産の梅を何軒もスーパーを回って探してきた。昨年に漬けた梅酒はまだ飲みきっていないのでよく居酒屋にあるような古酒にしたいと思っている。難しいかもしれない。
5.25.2009
アルメーレ@RTM
Almereと書いて アルメーレと呼ぶ。アムステルダムの東、電車で20分ほどの場所に位置する都市アルメレに行ってきた。オランダ国内でも一番新しい都市の一つである。もともと湖の一部であった土地を干拓し、1970年代から徐々に発展してきたが、増加するアムステルダムの人口の受け口として80年代後半あたりから更にその重要性を増した。90年代には都市中心部のさらなる開発を図るためOMAにマスタープランを依頼して現在に至る。OMAによる計画は対象地区の土地全体を地上から浮かび上がらせ、その下に車道と駐車場を、地上階は歩行者天国にして商業を、そして商業の上には屋上庭園と住居を配したもの。人工地盤という考えは日本でもメタボリズム運動の一環として大高正人氏によって早いうちから試みが行われてきているが、メガストラクチャー(建築物)という概念から離脱した、都市形態としてのアルメレの人工地盤は世界的にも初めての成功例ではないだろうか。駐車場階を歩いていると、それぞれ異なる地上部の建築物の構造や設備が同一空間に連立し、地上階のプログラムの標識とそこに直接通じる階段やエスカレーター、エレベーターが散らばっている。
国土の大部分を人工的に築いてきた、またどこまでも平地が続く国土と向き合ってきたオランダ人ならではの、地面という概念に対する考え方が顕著に表れたとても面白い町だった。ちなみにOMA計画のシネコンとSANAAによるスタッドシアターも拝見したが、特にコメントすることなし。
女王祭り@RTM
だいぶ時間を遡ることになるけど、毎年4月30日のオランダはクイーンズ・デイ(女王の日)といってオランダの女王様を祝うための祝日である。この日、女王と王家の御一行は住まいのハーグを離れ、毎年異なる国内の町をパレードしてまわり、日頃直接関わることの少ない市民との交流を深める。が、これはあくまでクイーンズ・デイの一面に過ぎず、実際のところ女王の来ない都市のオランダ市民にとってこの日は一年に一度の最大のお祭り騒ぎの日なのだ。普段は認められていない市民の路上でのモノの売買や飲酒がこの日だけは自由となり、歩行者天国の都市中心部は午前中からフリーマーケットと花見会場がごっちゃになったような雰囲気になる。中でもアムステルダムのクイーンズ・デイは有名で、路上から溢れ出た人々の多くは運河を船で埋め尽くし、水陸共に酔っぱらいに埋め尽くされる。
毎年アムスへ出向いていたのだが、今年の30日は残念ながら午後から仕事が入ったため、午前中だけロッテルダムのフリーマーケットをブラブラしてきた。どの店も家の押し入れの中身をそのまま路上に広げたようなガラクタばかり。掘り出しものがあるかと期待していたが、パリの市場とは雲泥の差だ。戦時中の爆撃によって一度焼け野原と化したこの都市の押し入れにはまだなにかを掘り出すほどの時間の層が積み重なっていないということだろうか。
5.12.2009
潮干狩り@TKY
GWに横浜八景島で潮干狩り(あさり)ができると聞きつけて行ってきた。「一人2kgまで、あまり小さい稚貝はNG」ということだけ聞いていたので採ろうと思って大き目のタッパーとビーチサンダルだけもって出かけ、現地に10時に着いた。(何か掘る道具をと思って家の中にあるはずのシャベルを探したけれど見つからなかった。)
既に砂浜には子どもたち大人たちが溢れ、一心不乱に掘っている。干潮から二時間が過ぎている。こちらもよい大人なので余裕で、ビールを買って砂浜で飲みながら海を眺めていた。
まあ乱獲しないくらいに採ろうと。
海の中に入ってみた。
水はもう冷たくはなく、ちょうどよい。ちょっと掘り始めた。
採れない。生きている貝がいない。掘っても掘っても何もとれない。海の家で熊手を買ってくる。波打ち際は人が多く競争率が高いと思い、20mほど沖に出てみる。まくったナガズボンはびしょびしょにぬれ掘っても掘っても採れない。
これはいけない、出直そう。
明朝始発で行こうと思い、横浜駅近くのスパ(ハマボールが今はおしゃれな健康ランドになっている)に一泊した。熊手とシャベルと網とクーラーボックスを買っておいた。
翌朝、雨。
結局シジミサイズのあさりを10匹ほどとれただけだった。せめて家の中に貝塚でも作ろうと、スーパーであさり3パック(1kg)買い、アクアパッツァにして食べた。
この八景島海の公園は人工の海浜のようでアサリが採れるまでになったというのはなかなかだ。東京の発展期に開発しコンクリートでがちがちに護岸工事したところを自然に戻そうとしている試みのよう。親水型護岸工事が各地で増えている。一度開発したところを元通りにとか、自然があるべき姿にとか再開発をしようとしている。日本橋と首都高の関係の議論なども同種の問題。はじめからあるべき姿に開発をすることの困難さを覚える。が、そのような観点を持つこと、時間という視野の大切さを痛切に感じる。
4.23.2009
芽吹@TKY
とてもいい季節を迎えている。緑が芽吹き温度湿度も穏やかで光がきれいだ。外に出ることに喜びを感じ、なんだか体が軽くなった気がする。三月末重かった鼻も目も。走り始めた。(再び)
駒沢公園まで家から2キロ、駒沢公園内ジョギングコース一周2キロ、帰り道2キロ、計6キロをゆっくりと走る。朝出勤前の一時間くらい公園にはたくさん人がいる。走ったり、歩いたり、犬の散歩をしたり。公園と家との間にもたくさんの発見がある。七時頃にはもう開いているパン屋とか、バス停で待つ人々、お寺がレストランをやっていたり。
やはり走るとなると日頃の不摂生で体が重い。心は軽いけど体は重い。体が重いと心も重くなる。
ipodとナイキのセンサーを手に入れてこの習慣が続くように気持ちを強化した。
靴の底に発信機を、ipodに受信機をつけて走るのだけれど、走った時間と距離が正確にわかるのでなかなか面白い。ナイキの専用ウェブ上でデータを同期させ蓄積していくので一か月どのくらい走ったのか、平均ペースなどわかる。
4.06.2009
膨張@TKY
4.03.2009
流動体構造とカタール@RTM
出張も今回で8回目となるが、数ヶ月おきに来るたびに都市の急速な変化を肌で感じることが出来る。世界規模で経済危機が騒がれている中、カタールは未だその影響をあまり受けずにいる。というのもドバイと異なりこの国にはまだまだ天然ガスと石油が豊富に存在するからで、今はそのドバイやアブダビから流れてくる労働者が急激に増えているらしい。
カタールは他の中東諸国と異なり天然資源から得られる膨大な利益の多くを文化施設の充実と国民の教育に注いでいる。大規模都市開発という視点からは常に他の中東都市に遅れをとっていたが、長期的な国家の成長を見据えたカタールの指針はこの経済危機によってその重要性が改めて評価されつつある。ドバイのように一夜として姿を現した市場都市は時として蜃気楼のごとく揺らぎ、砂のお城のようにふたたび砂漠に回帰してしまいそうな危うささえ感じるが、都市開発以前に国の歴史と文化の確立を図るカタールはお城の基壇をまずしっかり固めているのがわかる。
写真は担当しているプロジェクトと同じ大学キャンパスに建設中の磯崎新氏による建築。もともとフィレンツェの駅のコンペで姿を現した佐々木陸朗氏との共同開発による構造体がその後いくつかのコンペ案を経てここドーハで現実化されつつある。『流動体構造』と呼ばれたこの構造体自体の必要性には多少なりとも疑問を感じるが、状況によってその形態を変化させながら常に安定状態を保ちつつ成長するこの構造のシステムは、カタールという国における国家成長の構造を表現しているようにも感じられた。砂漠に枝を広げて生えたこの植物は果たして今後どのくらいしっかりと地に根がはるのか気になるところである。
3.24.2009
プラハ・ブルノ@RTM
ブルノにあるミースのチューゲントハット邸が近いうちに改修工事に入ると聞いて、急遽その前に見学しておこうというのが旅の本来の目的であったが、せっかくなら世界遺産でもあるプラハの町も見ておきたいという理由から滞在場所はプラハにした。
10世紀ころから存在するというプラハのお城を背景に広がる中心市街はやはり期待していた以上に美しく、現在に至るまでの歴史が途絶えることなく都市自体に刻み込まれ、積層している様が新鮮だった。東京もロッテルダムも同じ世界大戦により都市の中心が一度白紙に近い状態まで壊滅してしまったわけで、そんな都市と比べると、あらゆる歴史の断片が現在の日常の中に染み渡っているプラハの町は逆に異様な気がしたくらい。同僚の友達という人の家に泊めてもらったが、その家というのも11世紀くらいから存在する城壁の基礎にあたる部分をくり抜いたようにして出来た住居で、部屋の壁、天井のいたる場所にはフレスコ画が修復されて残されていた。
そんなプラハだが、50年代あたりからソビエトによる共産化の影響を強く受ける。ブルノに電車で向かう途中に見えたいくつもの農村には必ずといってよいほどコンクリート造のアパートがそびえ立ち、プラハ中心部でも地下鉄の駅に降り立つとその当時の影響が見て取れる。実際チェコスロバキア共和国が民主化の実現を遂げたのは1989年とごく最近のことである。カフカや写真家のJosef Sudekといった人物の活動の場としても有名だが、芸術の分野に留まっていたキュービズム運動をプラハにて建築の分野に巻き起こした建築家たちの個人名はあまり広く知られていない。
今回はチューゲントハット邸とともに、プラハ市内に今も残るアドルフ・ロースによるミュラー邸も見学してきた。完成がほぼ同じ年というこの二つの住宅を見れたことはとても良かったと思う。ユニバーサルスペースのミースと、ラウムプランのロース。どちらも連続する空間を意識して設計された建築だが、その答えはまったく異なる。基壇上から外界の地平線へと空間が連続する前者と、閉じた箱の中をスパイラル上に空間が連続する後者。限られた素材の壁が白色の空間内に浮遊する前者と、あらゆる壁、床、天井が常に多数の素材で埋め尽くされた後者。単純に印象を言えば、ミースの建築は文句なしですばらしかったし、そのデザインは現在においても陰りを感じさせないほど斬新であったが、一方ロースのミュラー邸はグロテスクで拒否反応を引き起こしそうなほどであったが、各空間ごとに思考を凝らした形跡が色濃く表れていて、じわじわとそのグロテスクな空間が強い魅力へと変わっていった感じ。まだ自分でもうまく消化しきれていないが、次回はぜひウィーンに出向いてさらにいくつか彼の建築を堪能してみたい衝動に刈られている。
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