この夏一か月ほど若い建築家の手伝いをしていた。
家から事務所まで最短距離を電車で行くと多摩川を二度越えていた。往復で4度。鉄道オタクの人であればどこからどこへ行っていたのか分かるだろうか。
東京ライフというより武蔵野ライフという感じでゆったりしていた。電車に乗る人も都心とは雰囲気が大分違った。電車の中で食事をしたり。
建築における姿勢(価値観や設計・施工プロセスへの姿勢)の違いというものを感じた一か月でもあった。35歳程の建築家であったのだけれど、これは世代によるものだったのか。(彼は駆け出しということもあって、たくさんの自分を建築に盛り込みたいようだった。自分で手を動かそうとしないこと、クライアントの前ではしゅんとなってしまうことは気になったけど。)
設計における考え方などはどのように形成させるのであろうか。感度の高く、たくさんの人と会う学生時代や働き始めた初期にどんな物や人、建築と出会ってきたかで変わってくるのだろうか。
建物の機能の要求が出揃って合理的にまとめてからが表現の勝負なのか、要求条件を空間に組み立てることが勝負なのか、要求そのものを変質させてしまうことに心を砕くのか。もちろん、限られたスペース、予算の中で要求をすべて実現するということは難しいこともある。要求同士が相対していることもあるので取捨選択をクライアントとともにすることも必要になるかもしれない。ただこれは設計条件が出揃う前段階のプロセスではある。
建築を通して何を人に伝えたいかということを、建築家の村野藤吾氏はかつて「99%の設計条件、1%の村野」と表現した。この1%を大きいと思うか、小さいと思うか。
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