9.28.2009

日本映画祭@RTM


4、5年ほど前からロッテルダムでは毎年カメラ・ジャパンという日本映画際が行われている。こちらの設計事務所に勤務する日本人とオランダ人二人によって始められたもので、毎年少しずつ規模が大きくなっている。去年からはアムステルダムでも行われるようになり、開催期間中には映画以外にも日本人によるモダンダンス、DJ、アート、料理、建築といったあらゆる分野のパフォーマンスやレクチャーも行われている。

毎年参加していたので今では主催者の二人とも顔見知りとなり、今回のおすすめ映画やパフォーマンスを事前に教えていただく。例年は仕事が忙しくてあまり時間がとれないのだが、今年はちょうど暇で金、土、日と連日見ることが出来た。見た映画は、Li Ying による「靖国」、Gondry他3名の監督による「トーキョー!」、テッコンキンクリートでおなじみのMichael Ariasによる「ヘブンズドア」、吉浦康裕による「イブの時間」。

偶然ではあったものの、最後の「イブの時間」というアニメーション以外はすべて外国人の監督によるものとなった。中でも最初に見た「靖国」は印象に残った。2007年に製作されたこの映画は監督自らによって10年もの期間をかけて靖国神社内で撮影したあらゆる映像を集めたナレーションの無いドキュメンタリーとなっている。香港映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したこの映画だが、中国人による靖国神社の映画ということと、文化庁所管の独立行政法人から助成金が出されているということなどから、日本ではかなりの論議を巻き起こし、一時は右翼団体の抗議運動によって日本国内での上映は中止となりかけたほどだ。

内容はここで詳しくは説明しないけども、個人的な感想としては靖国神社という場所とその意味するところをあらゆる人間模様を通じて巧みに表現されたもので、どちらか一方へ偏るということのない中立的な視点でありながら靖国問題の神髄を突いた良く出来た作品だと思った。とてもショックだったのは、靖国参拝を反対する青年たちと彼らを「中国へ帰れ」と罵倒して殴りつける日本人たちの姿を納めたシーン。実際のところ青年たちは日本人であった。中国人であれば良いという話ではもちろんない。しかし、同じ日本人同士が、しかも普通の一般人同士が、考え方の違いから血を流し合う姿を目の当たりにした時、なにか底知れない恐怖を心の底に感じてしまった。なにか自分の中奥底に腐敗した黒くドロドロしたものが潜んでいるような錯覚。

毎年夏場になると平和、平和と耳にすることが多くなる。が、平和というのは結果論である。世の中には平和を求めることで流される血が跡をたたない。考え方や信仰の違いが存在するのは当たり前なことだが、異なる考えを持つ相手に自分の考えを強要することから争いは起こる。今回この映画を見て、靖国の問題どうこうということよりも、この監督のとったスタンスそのものが、争いが耐えない世界に対するひとつの答えを提示しているような気がした。

9.24.2009

自転車@RTM

今から10年ほど前までは自転車といえば中国の大通りを想像したが、それも最近では大量の自動車にすっかり取って代わってしまった。一般的にはあまり知られていないかもしれないが、実は自転車大国はここオランダである。オランダでは人口数と国内の自転車の数がほぼ等しく、自転車保有率は世界一とされている。これにはいくつかの理由があるのだろうが、まず思いつくのは国土全体がほぼ真っ平らという利点だ。そして、国内ほとんどの道路が平行して自転車専用道路を設けているということも自転車普及に大きく貢献しているだろう。(自転車道の総延長は約1万5000キロにものぼる。)また、各都市がコンパクトにまとまっているというのも大切な条件なのかもしれない。

この自転車の数は現在も着実に増加傾向にあり、人口約1600万人に対して毎年170万台の自転車が買われているというデータがある。また、その一方で年間約75万台が盗難の被害にあっているとのこと。これは一日に2055台の自転車が九州ほどの面積内で盗まれているという計算になる。ちなみに日本全国の年間自転車盗難届け数は約43万台なので、いかにオランダでの盗難率が高いかがわかるだろう。オランダに来てから4年と3ヶ月ほど経つが、その期間内で僕が所有した自転車の数は7台で、そのうちの5台が盗難の被害にあっているから上記のデータは個人的に立証済みだ。

右の写真が典型的なオランダの自転車である。基本的に色は黒で、フレームがごっつい。ハンドルの手前と後輪の泥よけにライトが付いているが、大抵の場合は点かない。自転車を所有する上で、まず一番大切なのは鍵だ。丈夫な鍵ほどよいのは当たり前なのだが、重要なのは必ず2種類以上の鍵を装着することである。これは、自転車盗難を専門に行っている方々の多くはそれぞれ外すのが得意な鍵の種類が特定されているためであり、複数の種類の鍵を外すよりは得意な一つの鍵しかない自転車を狙ったほうが効果的だからである。もちろんそのほうが作業の時間も短時間で済む。基本的に盗まれた自転車はすぐに路上で売られるのだが、その際のロッテルダムでの相場は約8ユーロから15ユーロといった程度だ。中古でもちゃんとした自転車屋から買おうとすれば70〜100ユーロはするので、盗難自転車の需要が一向に減らないのも納得してしまう。自分のを盗まれたら、他人のを買い取る、という一つの悪循環システムが成立してしまっているのだ。

世界中で省エネやエコが推奨されている現在、車に替わる交通手段としての自転車は改めて注目を集めている。パリなどの大都市でも乗り捨て可能な自転車レンタルシステムが登場し成功を納めている今日、オランダのように国全体で自転車利用者に対する整備がすでに整っていることは、とてもすばらしいことだと思う。盗難が後を絶たないという悪い一面があるにせよ、自転車の利用者が普及しているこの国は今後ますます環境問題と正面から向き合わなくてはならない都市像の良き例として重要な位置に立つこととなるだろう。盗難数ではオランダより少ない日本だが、一方で年間放置自転車撤去数はなんと250万台だという。自転車を大切にすることの先にある意味/可能性をここに来てもう一度日本人は考えるべきだと思う。(左上の写真は子供のための席が装着されたもの。子連れに人気があるらしい)

9.22.2009

試合観戦と水上タクシー@RTM

天気の良い日曜日の午後、久しぶりにまたサッカー観戦に行ってきた。ロッテルダム・フェイエノールト本拠地にてアイントホーフェン・PSVを迎え撃つ。まだシーズンが始まって間もないが、現時点での一位がPSV、2位がフェイエという状況での今回の試合は重要な一戦だ。

座席はかなりピッチに近い場所に陣取り、ビールとフライドポテトを交互に口に運びながらの応援。前半早々にPSVに2点を入れられる。その後1点を返したが、すぐさま3点目を入れられ、そのまま1−3で試合終了。。。良い日光浴が出来たと開き直る。

ロッテルダム・スタジアムは中心地よりやや南のはずれに位置している。行きはトラムにのって20分ほどかかったが、帰りは友だちの提案で水上タクシーを呼ぶことに。電話で最寄りの運河または川沿いの乗り場を言うとすぐに迎えに来てくれる。値段はけっこう割高なので、大勢で利用することをお進めするが、なんといっても早い。家の近くの運河まで10分足らずで着いてしまった。かなり高速のモーターボートを使用しているため、スリリングも満点。港町ならではの愉快な乗り物に久々にはしゃいだ。

日本食材@RTM

日本食ブームなのか、最近家の近くの普通のスーパーでもあらゆる日本食材が手に入るようになりつつある。もともと中華系および韓国系のお店に行けばかなりの日本食が手に入るのだが、価格が高いことや家から離れているという理由で今まであまり利用していない。そういうこともあって、日頃から利用する地元のスーパーでも日本の食材が多少でも手に入ると嬉しいものである。

今日は久しぶりに会った元同僚のために夕食の買い出しにでて、写真の椎茸と西洋マッシュルームを買ってきた。椎茸はけっこう立派な生のもので、約7本(100g)で1.8ユーロ。日本円にして240円くらいなので、やはり倍くらいはしてるだろうか。一方マッシュルームのほうは大小20本ほど(250g)で0.9ユーロ。120円くらいだから格段に安い。パスタにでもシチューにでもなんでも使える上、日持ちが良いので買い物に行くと必ず買ってしまう。で、いざ何を作ろうかと色々思い描いていた際に、ドイツ・ハンブルグが敷地の仕事の話を友人がしてきたため、あっさりとハンバーグに決定。上海生まれのオーストリア人の彼女はハンバーグを食べたことがないというので、味がどうなろうと「これがハンバーグなのだ」と言い切ることにして気楽に調理をはじめる。

パン粉がないのでフランスパンを崩して使用。キノコは椎茸にするかマッシュルームにするか迷ったが、せっかくの立派な椎茸を細かく刻むことに抵抗を感じたので安いほうを使用。フライパンで焼いた際に出た肉汁とケチャップ、ブルドッグソースを混ぜたものでデミグラスっぽいソースをかけて出来上がり。今晩はご飯ではなくてパンなので、野菜スープも添えた。これはジャガイモ、赤ピーマン、インゲン豆、タマネギとズッキーニを煮込んだものに野菜ベースのブイヨンの素を少々加えた簡単なもの。友人は両方ともおいしいと言ってくれたが、最終的にスープの方が評価が高かったことに少しガックリする。いやいや、「これがハンバーグ」というものなのですからと念を押した。。

9.20.2009

ランドスタッド@RTM

オランダの都市といえばまず有名なのがアムステルダム。これは商業の中心としてオランダ国内で一番の人口(約75万)を誇る。次に大きいのがロッテルダムで人口58万人。工業都市として知られる。政治の中心としての役目を持つのがデン・ハーグで人口48万。そして4番目となるのがユトレヒトである。人口約30万人のこの都市は昔から宗教の中心とされている。これらの都市はちょうど円を描くように配置されており、流通の拠点であるスキポール空港地区を含めてひとつの共同体である「ランドスタッド」という名称で呼ばれている。つまり一つの中心的大都市を形成するのではなく、役割を明確に隔てた小都市を農業を囲むように配置し、高速道路および列車を介して他の都市群と連結することで国家全体のバランスを保っているのである。

Witte de With Straat@RTM


自宅前の道でまたもフェスティバルがあった。なんのフェスティバルなのかは最後までよくわからなかったのだが、道のあらゆる場所で演劇舞台やコンサート、アートインスタレーションが行われていた。

この道、名前はWitte de With Straatと言いロッテルダム市内では数少ない栄えた通りの一つだ。多くのパブの他現代美術館、写真美術館、アートギャラリー、お洒落雑貨や洋服のお店などが軒を連ねている。右の写真にあるバーの上が現在住んでいる場所。部屋の窓は通りの裏側に面しているため、通りの様子は中からはわからないが、すぐしたがバーなので週末となると明け方まで音楽の低音が響いていて眠れないこともしばしば。

バーの名前は「OPA」といいオランダ語で「おじいちゃん」という意味。勤務先が「OMA」(Office for Metropolitan Architectureの訳)で「おばあちゃん」という意味なので、基本的にロッテルダムでの僕の生活はこのおじいちゃんとおばあちゃんの間を行き来していることになる。


フェスティバルと言えば恒例のゴミの話となるのだが、今回も例外なく綺麗に散らかしてありました。ちなみに主なゴミとなっているのは透明のプラスチックカップとそれを6つまでまとめて運ぶためのボール紙で出来たドリンクホルダー。あとは缶カラや瓶、タバコの箱などが少々といったところだろうか。通常グラスで出されるビールなどのドリンクがこういったイベントとなると使い捨てのプラスチックカップとなるため、通り一面あっという間にこのキラキラ光るゴミで埋め尽くされる。この日は明け方4時頃までいたのだが、掃除が開始される気配もないまま就寝。翌朝10時頃に起きた時にはすでに跡形もなく片付いていた。いつかこの謎に包まれた掃除の様子を解明してみたいという願望がまたすこし強くなった。

ナインチェ@RTM

TKYによるビッグイシューについての投稿で表紙を飾っていたミッフィーちゃん、今や世界中の親子に愛されているオランダ生まれのキャラクターだ。ディック・ブルーナ氏という絵本作家によって1950年代から描き続けられているシリーズで、今や世界40カ国語に訳されている。日本では「ミッフィー」、または「うさこちゃん」としてしられているこのキャラクターだが、本場オランダでは「ナインチェ」(訳:こうさぎちゃん)という名称で親しまれている。

ブルーナ氏は現在も健在でオランダ・ユトレヒト市のスタジオで日々製作に携わっているとのこと。このユトレヒトにはミッフィーミュージアムがあり、ミッフィーやブルーナ氏にちなんだ資料や作品を見学することができる。ちなみにここでのおすすめはブルーナ氏の製作模様と奥さんによる作品にたいするダメだしの様子を納めたビデオ映像。

ブルーナ氏はもともと書籍
装丁などを主に手がけていたグラフィックデザイナーで、1920年代オランダで盛んだった抽象美術運動「デ・スティル」の影響を強く受けた一人であった。当時は写実的な挿絵などが主流であった中、ブルーナ氏は抽象化した線と原色を用いた手法を使って数々の独自のデザインを生み出していった。同運動の立役者でもあったピエート・モンドリアンの絵画はあまりにも有名だが、このように子供向けの絵本にまで早くからデザインの極めとも言える要素が浸透していることに、改めてオランダという国のデザインに対する奥深さを感じてしまう。(ちなみにミッフィーおよびブルーナ氏について詳しく知りたい方はこちらへ。)

9.14.2009

ビッグイシュー @TKY

ビッグイシューを久しぶりに買った。

ターミナル駅の人通りの多い場所の脇で雑誌を売っている人を見かけないだろうか。それが「ビッグイシュー」である。今回ミッフィーの表紙が見えたので買った。

この雑誌は、ホームレスの人の手売りが主で、日本のいわゆる主要な販売経路にはのっていない。もちろん、コンビニや本屋では売っていない。主要な販路にのっていないということから広告がなく、しがらみもないことから記事もなかなか面白い。今回は、ミッフィーと爆めしと農業を特集。300円。

ビッグイシューは、ホームレスの人に仕事を提供し自立を応援するために1991年イギリスで創刊された。日本版は2003年からだ。何かをきっかけに家を失った人が就職するには住所が必要で、家を借りるにはまとまった現金が必要。雑誌300円に内の160円が販売者の収入になるということだ。

この雑誌の社会的な試みはとても興味深い。また新宿で学生時代を送った者としてホームレスの人たちは近い存在で、よく、その生きていく様を写真に撮らせてもらっていた。世代的なものかわからないが、社会的に大きな失敗をして、誰も頼る人がいなくなってしまったとき家を失う恐怖は、常にある。セーフティネットを多層に作り出すこと社会的に必要だと思うし、社会の一員として今自分の範囲で出来ることを考えていきたい。

最新号はsuperflyが表紙らしい。また買わなきゃ。

ビッグイシューホームページ

9.13.2009

日光東照宮 @TKY

日光へ行く。

陽明門をはじめ、社殿群は、あらためて凄まじい。建物の形をした工芸品、美術品だ。ここに訪れたのは実に小学校の修学旅行以来だが、その時は「へえ、きれいだな」という感想ぐらいだっただろうか。建築設計を生業として、この場所を再訪し、またこの凄まじさに気が遠くなる。しかも、この贅を尽くした建造物はわずか一年半でつくったという。
今同じことをするとなると、図面を引くだけで5年、10年なんて簡単に過ぎてしまいそうで、そこからつくるとなると何十年もかかるようなそんな仕事になる気がする。

奥社入口にひっそりと護る眠り猫。江戸時代、職人がスーパ-スターだったというが、この眠り猫を彫った大工、左甚五郎もその一人。今で言う、イチローやマイケル・ジャクソンのような人だろうか。そんなスターっぷりが落語で伝わっている。「竹の水仙」「三井の大黒」「ねずみ」など、左甚五郎の伝説を噺にしたものがいくつも高座にかけられている。左甚五郎の彫刻作品を細川越中守が大金を積んで所望したはなしなどなど。

江戸時代、現在、自分の子供時代。ちょっとしたタイムトラベルをしたような時間だった。大人の修学旅行もなかなかいい。友人が小学校時代に遠足で登った山を登り直していると言っていたが同じ感覚だろうか。

富弘美術館 @TKY

ロッテルダムから一時帰国中の建築家KGO氏ともに群馬・栃木建築ツアーへ、富弘美術館・足尾銅山・日光輪王寺をまわる。当初現代建築をリストアップしていたが、お互い趣味が変わり歴史遺産、産業遺産を見ることに。

富弘美術館はヨコミゾマコト氏による設計。
平面に円形を並べ、展示空間を作り上げている。円形を並べ、なぞることで、絵の展示がスムーズに見られる。展示と円形の空間の親和性がとてもよく、空間としても居心地が良かった。板、ボードなど規格品を無駄なく、経済的に使うと部屋は四角になる。供給側の論理ではなく、利用者の論理に立った、建築空間に対しての新しい挑戦・提案である。
円形の集合体としての建築であるが、並べられた円それぞれに性格を持たせたいという設計者の意図が感じられた。コンセプトと建築の空間表現がとても素晴らしかったが、設備の納め方と材料の使い方に難があるような気がした。一つ一つの円の空間の床・壁・天井がすべて異なる素材が使われていて、円の数x3(床・壁・天井)というたくさんの素材のサンプル集のようになってしまっていた。また、空調の床吹き出し口や屋内消火栓などがとってつけたようで目立ってしまっていて、とても気になってしまった。純粋に建築表現を追い求めるのか、純粋さを捨ててでも詳細をきれいに納めることに尽力するのか、その分かれ道を見た気がした。
富弘美術館
am9~pm5
〒376-0302 群馬県みどり市東町草木86
tel 0277-95-6333

建築の構造・詳細設計は「ディテール166」彰国社が詳しい。

9.12.2009

ライブハウス @TKY

友人のバンドを聞きに新宿のライブハウスへ。

インストゥルメンタルバンド3組、ヒップホップ1組、+ライブペイントで4時間半というもりだくさん。

ポストロックというのか、ドラムンベースというのか、がりがりとした爆音の中、とてもゆっくりとした時間を過ごさせてもらった。

「音楽に嫉妬している」と言っていた友人の絵描きが今日来ていた。
この表現はなかなかかっこいい。
「建築は凍れる音楽」という昔の誰かが言っていた表現も好きだ。

新しい音楽の表現を模索している彼らを心から応援したい。

9.10.2009

足尾銅山 @TKY

国道122号線を走っていると足尾銅山観光の文字が。

鉱山や精練所など産業遺産がそのまま残っている。それぞれ鉱山、建物としてのその役割を終え、維持管理の手を離れ、ただのものとして年を重ねている。1973年まで鉱山として、1989年まで精練事業を稼働していて、明治を最盛期に、ひとつの街を形成し小学校・商店などがあったようだが、ほとんど無人となっている。

1973年に廃坑になった後、観光用に整備され坑道の中をトロッコで入り、見学が出来るようになっている。

坑道の中、ジオラマのように展示されており、江戸時代の手掘りの様子から、明治・大正・昭和期に古河鉱業(現古河機械金属)による技術革新の様子が示されている。

足尾銅山というと、小・中学校で学ぶ田中正造氏が力を尽くした公害や鉱山での過酷な労働条件という負のイメージが強かった。が、明治の日本の国力を上げるために稼働していたというだけでなく、江戸城・日光東照宮の建造の際に使われたという、国をつくってきた誇り、正のイメージを、この場所に来て色濃く感じた。

足尾銅山を世界遺産登録にするべく取り組みがなされている。

足尾銅山観光
〒989-5402 栃木県上都賀郡足尾町通洞9-2
tel:0288-93-3240
9:00~16:00

9.08.2009

広場について @TKY

RTM側で、再三テーマにしているパブリックという言葉にピンと来なかったが、新聞に理解を助けてくれる記事が載っていたので転載。

「西欧の街で人々が憩う「広場=プラザ」という概念が、日本の建築や都市計画に位置付けられていない」という話題。

政府・行政が、社会のコントロールを考えると、「広場」というものが都市の中で邪魔なのだろうか。公共という概念の違いに思いを馳せてしまう。ヨーロッパは、都市がコンパクトで、住まいと職場・遊び場が近接しているということにも一端があるのだろうと思う。

「2009年9月4日の日本経済新聞夕刊より」

多摩川を二度越えて @TKY

この夏一か月ほど若い建築家の手伝いをしていた。
家から事務所まで最短距離を電車で行くと多摩川を二度越えていた。往復で4度。鉄道オタクの人であればどこからどこへ行っていたのか分かるだろうか。

東京ライフというより武蔵野ライフという感じでゆったりしていた。電車に乗る人も都心とは雰囲気が大分違った。電車の中で食事をしたり。

建築における姿勢(価値観や設計・施工プロセスへの姿勢)の違いというものを感じた一か月でもあった。35歳程の建築家であったのだけれど、これは世代によるものだったのか。(彼は駆け出しということもあって、たくさんの自分を建築に盛り込みたいようだった。自分で手を動かそうとしないこと、クライアントの前ではしゅんとなってしまうことは気になったけど。)

設計における考え方などはどのように形成させるのであろうか。感度の高く、たくさんの人と会う学生時代や働き始めた初期にどんな物や人、建築と出会ってきたかで変わってくるのだろうか。

建物の機能の要求が出揃って合理的にまとめてからが表現の勝負なのか、要求条件を空間に組み立てることが勝負なのか、要求そのものを変質させてしまうことに心を砕くのか。もちろん、限られたスペース、予算の中で要求をすべて実現するということは難しいこともある。要求同士が相対していることもあるので取捨選択をクライアントとともにすることも必要になるかもしれない。ただこれは設計条件が出揃う前段階のプロセスではある。

建築を通して何を人に伝えたいかということを、建築家の村野藤吾氏はかつて「99%の設計条件、1%の村野」と表現した。この1%を大きいと思うか、小さいと思うか。

9.04.2009

手前味噌 @TKY

味噌が出来た。大寒時に仕込んであった味噌がひと夏を越え、出来た。表面にはカビが少し生えていたけどそれを取り除き、味噌汁をつくってみた。まだ熟成が足りず味に深みがないが、塩味が強く、全身の汗腺がばっと開いて、朝からなんだか元気が出てきた。元気があれば何でもできる。何でもできそうな気がする。