5.26.2009

Zollverein@RTM

オランダ国境近いドイツ側にEssen-Zollvereinという場所がある。もともと巨大な炭坑だった所を廃業後、そのまま公園兼文化施設に変換し、現在ではユネスコ世界遺産にも登録されている。

先週末、元同僚の車でロッテルダムから日帰りで行ってきた。ドイツ側に入れば高速道路も制限速度がない。中古のサーブで最高速度210キロを記録して、通常2時間半のところを2時間に短縮した。小さな田舎町を抜けてまず目に入ってくるのは炭坑跡ではなく、SANAAによるデザイン学校の立方体だった。周辺が低層のレンガ造ばかりなので、コンクリート造のこの立方体はかなりの存在感を発していた。外装も内装もコンクリート打ちっぱなしのこの建築、優れているのは実は目に見えないところにある。ドイツ人環境エンジニアのマティアス・シューラー氏と共同で、炭坑跡の地下深くからダクトをひいてコンクリートのファサード内に張り巡らしてあると聞いている。地下の安定した温度を利用したこの土地ならではの優れたエコデザインと言える。

立方体を堪能したあと、いよいよ世界遺産に突入する。工業建築といって『形態は機能に従う』という言葉が頭に浮かんだが、敷地内に足を踏み入れてまず感じたのは、これは慎重にデザインされた建築群であるということ。もちろんその大部分が機能によって支配されているだろうものの、あらゆる部分のプロポーションやバランスがあまりに優れている。蓋をあけてみれば、Fritz SchuppとMartin Kremmerというプラント設計者によるもので、バウハウス主義の造形原理を工業分野にて実現させた貴重な例と記されていた。なるほど。

現在はOMAによるマスタープランに従い、少しづつ改修/改築/増築が行われているが、全体的には既存を主とした最小限の介入/デザインの配慮が感じられた。そんな中でOMA自らによるビジターセンターの主なデザインは既存の建物の最上階に通じる巨大なガラス張りのエスカレーターなのだが、これもまた現在の新たな利用における必要機能に従った形態であり、唯一の大規模な新築部分であるにも関わらず不思議と違和感を感じさせない。レムが日頃口をすっぱくして言うところの「デザインをするな」というデザイン手法がまさに生かされた作品のひとつだと思う。

今や改築の基本である、既存に対して見えないように介入することはある意味簡単で、逆に全面的に新設部分が主張されているのにあらゆる意味において既存に溶け込んだ介入というのは、とても優れた技である。新築の見えないところに、既存を介入させたSANAAの建築と共に、今後いっそう増えていく一方であろう保存というテーマにおいての新たな手法を案じさせていると思った。

5.25.2009

アルメーレ@RTM

Almereと書いて アルメーレと呼ぶ。アムステルダムの東、電車で20分ほどの場所に位置する都市アルメレに行ってきた。オランダ国内でも一番新しい都市の一つである。もともと湖の一部であった土地を干拓し、1970年代から徐々に発展してきたが、増加するアムステルダムの人口の受け口として80年代後半あたりから更にその重要性を増した。90年代には都市中心部のさらなる開発を図るためOMAにマスタープランを依頼して現在に至る。

OMAによる計画は対象地区の土地全体を地上から浮かび上がらせ、その下に車道と駐車場を、地上階は歩行者天国にして商業を、そして商業の上には屋上庭園と住居を配したもの。人工地盤という考えは日本でもメタボリズム運動の一環として大高正人氏によって早いうちから試みが行われてきているが、メガストラクチャー(建築物)という概念から離脱した、都市形態としてのアルメレの人工地盤は世界的にも初めての成功例ではないだろうか。駐車場階を歩いていると、それぞれ異なる地上部の建築物の構造や設備が同一空間に連立し、地上階のプログラムの標識とそこに直接通じる階段やエスカレーター、エレベーターが散らばっている。

国土の大部分を人工的に築いてきた、またどこまでも平地が続く国土と向き合ってきたオランダ人ならではの、地面という概念に対する考え方が顕著に表れたとても面白い町だった。ちなみにOMA計画のシネコンとSANAAによるスタッドシアターも拝見したが、特にコメントすることなし。


女王祭り@RTM

だいぶ時間を遡ることになるけど、毎年4月30日のオランダはクイーンズ・デイ(女王の日)といってオランダの女王様を祝うための祝日である。この日、女王と王家の御一行は住まいのハーグを離れ、毎年異なる国内の町をパレードしてまわり、日頃直接関わることの少ない市民との交流を深める。

が、これはあくまでクイーンズ・デイの一面に過ぎず、実際のところ女王の来ない都市のオランダ市民にとってこの日は一年に一度の最大のお祭り騒ぎの日なのだ。普段は認められていない市民の路上でのモノの売買や飲酒がこの日だけは自由となり、歩行者天国の都市中心部は午前中からフリーマーケットと花見会場がごっちゃになったような雰囲気になる。中でもアムステルダムのクイーンズ・デイは有名で、路上から溢れ出た人々の多くは運河を船で埋め尽くし、水陸共に酔っぱらいに埋め尽くされる。

毎年アムスへ出向いていたのだが、今年の30日は残念ながら午後から仕事が入ったため、午前中だけロッテルダムのフリーマーケットをブラブラしてきた。どの店も家の押し入れの中身をそのまま路上に広げたようなガラクタばかり。掘り出しものがあるかと期待していたが、パリの市場とは雲泥の差だ。戦時中の爆撃によって一度焼け野原と化したこの都市の押し入れにはまだなにかを掘り出すほどの時間の層が積み重なっていないということだろうか。

5.21.2009

コフン@TKY

等々力渓谷の脇にある野毛大塚古墳。
東京では珍しい古墳で、住宅街の中にひっそりと公園として存在している。
5世紀の豪族の墓で前方後円墳である。

昔の偉い人のお墓の上を子供たちが走り回っている。

迷彩 @TKY

光は日々強く、木々は日々青くなり、そのコントラストはまるで迷彩色のよう。

等々力渓谷は格好の散歩道となっていて休日には人々がたくさん訪れる。

建築の色はその場所の光の強さ・自然の色と深く関係している。
淡い日光の土地は淡い色を、強い日光の土地は彩度の高い色を使う。

日本では建物の色のファーストチョイスは淡い色だが、このまま亜熱帯化が進み日差しが強くなれば、その光の下映える原色の家々が増えていくのだろうか。

ハラミュージアムアーク @TKY

群馬県渋川市にあるハラミュージアムアーク。日本古美術のためのギャラリー「觀海庵」・収蔵庫が増築されたということで訪れた。このブログのカタールの話題のときに触れていた磯崎新氏の作品。品川の原美術館はとても好きな場所だったのでぜひ行きたかった場所でもある。

美術館は作品を守るという意味で厳重に何層にも箱で囲うというイメージがあるが、この美術館は展示室をつなぐ廊下は屋根だけの半外部となっている。増築部分は敷地の高低差の活かされた浮いた家型のかわいらしい形で、内部はプロポーションとろうそくの灯を目指した照明とで和空間を意識されている。屏風や掛け軸などの隙間隙間に現代美術作品がありその対比が面白かった。

同一敷地内には伊香保グリーン牧場があり馬・ヤギ・牛・羊が闊歩している。

5.12.2009

潮干狩り@TKY

GWに横浜八景島で潮干狩り(あさり)ができると聞きつけて行ってきた。

「一人2kgまで、あまり小さい稚貝はNG」ということだけ聞いていたので採ろうと思って大き目のタッパーとビーチサンダルだけもって出かけ、現地に10時に着いた。(何か掘る道具をと思って家の中にあるはずのシャベルを探したけれど見つからなかった。)
 既に砂浜には子どもたち大人たちが溢れ、一心不乱に掘っている。干潮から二時間が過ぎている。こちらもよい大人なので余裕で、ビールを買って砂浜で飲みながら海を眺めていた。
まあ乱獲しないくらいに採ろうと。
 海の中に入ってみた。
水はもう冷たくはなく、ちょうどよい。ちょっと掘り始めた。
 採れない。生きている貝がいない。掘っても掘っても何もとれない。海の家で熊手を買ってくる。波打ち際は人が多く競争率が高いと思い、20mほど沖に出てみる。まくったナガズボンはびしょびしょにぬれ掘っても掘っても採れない。

 これはいけない、出直そう。

 明朝始発で行こうと思い、横浜駅近くのスパ(ハマボールが今はおしゃれな健康ランドになっている)に一泊した。熊手とシャベルと網とクーラーボックスを買っておいた。

 翌朝、雨。

結局シジミサイズのあさりを10匹ほどとれただけだった。せめて家の中に貝塚でも作ろうと、スーパーであさり3パック(1kg)買い、アクアパッツァにして食べた。

 この八景島海の公園は人工の海浜のようでアサリが採れるまでになったというのはなかなかだ。東京の発展期に開発しコンクリートでがちがちに護岸工事したところを自然に戻そうとしている試みのよう。親水型護岸工事が各地で増えている。一度開発したところを元通りにとか、自然があるべき姿にとか再開発をしようとしている。日本橋と首都高の関係の議論なども同種の問題。はじめからあるべき姿に開発をすることの困難さを覚える。が、そのような観点を持つこと、時間という視野の大切さを痛切に感じる。