2.08.2009

ミース賞展 @TKY

EU現代最優秀建築賞(ミース賞)東京巡回展が新宿であった。隔年ごとの最重要作品が選ばれたものでヨーロッパのトップアーキテクトばかりだった。プロジェクトのコンセプトを表現した模型を中心とした、情報がそぎ落とされた展示だった。雑誌などにて見たことがある作品ばかりで2次元は体験している。模型という3次元を体験できたということで良しとするか。
というのは建築の展覧会でいつも思うのは分かりにくいということで、予備知識をもっているということを前提とした展示ながらそれを超える感動もないということ。美術展示というより博物展示に近い。
実物という4次元(XYZ+Time)から図面(XY)模型(XYZ)というように次元を落としているということから仕方のないことなのかもしれないけど。

1 件のコメント:

  1. 建築雑誌が伝える情報にうんざりして、建築展が展示する内容に感動を覚えず、インターネットが流す情報はサーフする波のように次から次へと顔を出してはとおり過ぎてゆく。ここしばらくメディアを通した建築を見てハッとしたことがほとんどない。なぜだろうか。4次元を3次元、または2次元でしか表現出来ないから、というのであれば今から70年も80年も前の巨匠によるプランだけをみても感動するのはなぜだろうか。一枚のコラージュだけをみても驚きをおぼえるのはなぜだろうか。しばらくの間雑誌を嫌い、展示を批判し、建築サイトを避けていたけども、もしかしたら批判すべき対象は伝達手段ではなく最近の建築そのものなのではないだろうか。本来、建築を作り出すためには2次元で計画し、その情報をもとに3次元、4次元が作り出される。4次元の情報を2次元の情報に置き換え直した時、その平面にハッとする4次元情報が組み込まれていない建築が増えているのではないだろうか。2次元を超えて直接3次元で考えられたものが、同じ次元で建築となる現在の設計手段では2次元ならではの情報が欠如する。大切なのはどの次元なのかではなく、すべての次元において建築たるか、ではないだろうか。たとえ伝える情報が次元ごとに異なるとしても、それぞれが建築として完結した情報を持っていなければならないのではないだろうか? 雑誌や模型展示というように、実物から次元が落とされた場合、その建築の価値が同時に落ちてしまうような建築が増えているのは、もしかしたらあるひとつの次元上でしか建築として表現されていないからなのかもしれない。

    返信削除