ブルノにあるミースのチューゲントハット邸が近いうちに改修工事に入ると聞いて、急遽その前に見学しておこうというのが旅の本来の目的であったが、せっかくなら世界遺産でもあるプラハの町も見ておきたいという理由から滞在場所はプラハにした。
10世紀ころから存在するというプラハのお城を背景に広がる中心市街はやはり期待していた以上に美しく、現在に至るまでの歴史が途絶えることなく都市自体に刻み込まれ、積層している様が新鮮だった。東京もロッテルダムも同じ世界大戦により都市の中心が一度白紙に近い状態まで壊滅してしまったわけで、そんな都市と比べると、あらゆる歴史の断片が現在の日常の中に染み渡っているプラハの町は逆に異様な気がしたくらい。同僚の友達という人の家に泊めてもらったが、その家というのも11世紀くらいから存在する城壁の基礎にあたる部分をくり抜いたようにして出来た住居で、部屋の壁、天井のいたる場所にはフレスコ画が修復されて残されていた。
そんなプラハだが、50年代あたりからソビエトによる共産化の影響を強く受ける。ブルノに電車で向かう途中に見えたいくつもの農村には必ずといってよいほどコンクリート造のアパートがそびえ立ち、プラハ中心部でも地下鉄の駅に降り立つとその当時の影響が見て取れる。実際チェコスロバキア共和国が民主化の実現を遂げたのは1989年とごく最近のことである。カフカや写真家のJosef Sudekといった人物の活動の場としても有名だが、芸術の分野に留まっていたキュービズム運動をプラハにて建築の分野に巻き起こした建築家たちの個人名はあまり広く知られていない。
今回はチューゲントハット邸とともに、プラハ市内に今も残るアドルフ・ロースによるミュラー邸も見学してきた。完成がほぼ同じ年というこの二つの住宅を見れたことはとても良かったと思う。ユニバーサルスペースのミースと、ラウムプランのロース。どちらも連続する空間を意識して設計された建築だが、その答えはまったく異なる。基壇上から外界の地平線へと空間が連続する前者と、閉じた箱の中をスパイラル上に空間が連続する後者。限られた素材の壁が白色の空間内に浮遊する前者と、あらゆる壁、床、天井が常に多数の素材で埋め尽くされた後者。単純に印象を言えば、ミースの建築は文句なしですばらしかったし、そのデザインは現在においても陰りを感じさせないほど斬新であったが、一方ロースのミュラー邸はグロテスクで拒否反応を引き起こしそうなほどであったが、各空間ごとに思考を凝らした形跡が色濃く表れていて、じわじわとそのグロテスクな空間が強い魅力へと変わっていった感じ。まだ自分でもうまく消化しきれていないが、次回はぜひウィーンに出向いてさらにいくつか彼の建築を堪能してみたい衝動に刈られている。