キッチンは火力の強い中華料理を作るので外気に面していなければならないとか、100m以上のタワーには避難のためだけのフロアを50mごとにつくらなければならないとか。
地下空間の話 があったけど中国においてはある面積以上の建物には地下シェルターをつくることが義務付けられている。
また大きな都市の中心部には8車線以上の道路がつくられて非常時には飛行機の滑走路となる。
戦争を意識した都市づくりを法規で定められていることに仮想敵国であろう日本国民としてぎょっとした。
建築は一品生産というのは成熟期の都市におけるロジックで今膨張期にある中国ではひとつひとつをゆっくり検討している時間はないようだ。特に集合住宅はプランが出来たらコピー&ペーストをしているように大量生産している。日本でも多摩だとか千里中央だとか団地を造る場合固有の地形とか風土とかを意識した建物のアレンジの仕方をしてきたが、中国では団地の規模の桁が違い土地の方をアレンジして整地してしまう。
蛇足ながら書くとプロジェクトをすすめるにあたって日本では現場レベルでの決定権を40代、50代が持っているが中国ではこの世代の企業人の絶対数が劇的に少ない。
文化大革命という時期があり学校が閉鎖され教育を受けられなかった世代にあたり字義通り中国版「失われた世代」だ。
中国の企業の年齢構成として経営者は60代、飛んで30代20代となるので、現場レベルの決定権は30代がもっている。
プロジェクトの会議では服装が崩れている人ほど偉いという傾向があり、部長がヒップホッパーな格好で参加という場面が良く見られた。
中国の戦争を想定した都市計画、確かにぞっとする。よくよく考えてみれば、北朝鮮はいつ暴走するかわからないバリバリの軍事国家だし、韓国にしてもつねに北の侵略を恐れ高層ビルの屋上は地対空ミサイルの設置場所の確保が必要となっているとのこと。中東やアフリカに比べ一見平和な東アジアも実はつねに戦争という可能性と隣り合わせである、という事実を改めて意識させられる。村上龍の「半島を出よ」を思い出した。
返信削除いっぽう先日日本育ちのレバノン人デザイナーであるナダ・デブス(今中東を代表する家具デザイナー)と先日話す機会があったのだが、ベイルートの話を聞いていて驚く。彼女によると数年前の戦争中、勤務先が休みの市民は爆発音を聞きながらビーチで日光浴をして過ごしていたという。今も瓦礫が残る町の市民は常に戦場の中での生活を強いれられてきたため、人々の多くは戦争慣れしているという。同僚のこれまたレバノン人の女の子の場合は、戦時中状況があまりに危険になったから戦火の中タクシーで閉鎖された国境を突破してきたのよ、と平然と語る。日本人に対して平和ボケという言葉をよく耳にするけども、戦争慣れよりは平和ボケでいいと思った。
レバノンのベイルートで少女時代を過ごしたランドスケープデザイナーと時々一緒に仕事をしている。父親の赴任先で「東洋のパリ」といわれるほど綺麗な街だったようだ。戦争が勃発して家族で着のみ着のまま日本に逃げ帰って来たといっていた。ベイルートは内戦、中東戦争を経て破壊しつくされ何もなくなってしまったようだ。何もないと言えば日本も同じだね。
返信削除そう。日本が何もないところから立ち上がったのと同じで現在のベイルートは再生にむけて勢いを増しているという。驚いたのはベイルートは現在世界の人気観光地トップに並ぶほど注目を浴びている。ナダから頼まれているんだけどベイルートで日本人の建築家を紹介してほしい友人がいるとのこと。やってみる?と声をかけられているけど、興味があればぜひ。
返信削除やろう。
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